Personal History
納得いかないことは 自分にとって大事なこと意気揚々と就職活動に励むもいろいろと納得いかず、 転がり込むように大学院に進学し、探求の日々を再び始めます。 隣近所で顔を合わせて声かけあうような井戸端もなくなり まして、子どもがのびのびと遊べる時空間がどんどん狭められていく現代社会 「遊び場づくり」「地域づくり」「場づくり」などが声高になっている頃でした。 私自身もそういった活動にますます関わりを深めていくにつれ、 例えば「作り方」とマニュアル化してしまった時に どうしても取りこぼされがちで、 しかし肝心なことをどうすくい取って大事にし続けられるか?に苦心するように。 複雑だからと言って大事なところを切り落とし簡単に片付けられるのには、 どうしても納得がいかなかったのです。 |
そんな中、私が専攻に選んだのは「ユーザー感性学」、それも「感性コミュニケーション」。
「なにそれ?」と言われないことはない分野でした。
私がちょうど学部生だった頃に新しく設立された修士課程、当時は私も「なにそれ?(そんな怪しいところ私は絶対いかない)」と思っていたのは秘密です。
ともあれ、
「科学が進歩し、社会や暮らしをよりよくするための研究は既に膨大にあるはず。
それらが本当の意味で役立てられるには、学問と生活者(ユーザー)を橋渡しするような、ユーザー視点の理解が求められている」
・・・というような切り口で、新しくできた学問・専攻に5期生として入学しました。
(専攻に関して詳しくは公式サイトこちらにて)
人が「いきいきと」遊んだり学んだり、創造したり、暮らしたりといった営みを支える「場」について、
それも「どう作るか?」ではなく「どう、できていくのか(創発 emergence)」の側から 携わりつつ考えることを続けてきました。
「なにそれ?」と言われないことはない分野でした。
私がちょうど学部生だった頃に新しく設立された修士課程、当時は私も「なにそれ?(そんな怪しいところ私は絶対いかない)」と思っていたのは秘密です。
ともあれ、
「科学が進歩し、社会や暮らしをよりよくするための研究は既に膨大にあるはず。
それらが本当の意味で役立てられるには、学問と生活者(ユーザー)を橋渡しするような、ユーザー視点の理解が求められている」
・・・というような切り口で、新しくできた学問・専攻に5期生として入学しました。
(専攻に関して詳しくは公式サイトこちらにて)
人が「いきいきと」遊んだり学んだり、創造したり、暮らしたりといった営みを支える「場」について、
それも「どう作るか?」ではなく「どう、できていくのか(創発 emergence)」の側から 携わりつつ考えることを続けてきました。
ライフワークとライフパートナーとの
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残念ながら、私の実のおばあちゃんの梅干しや漬物はもう食べられません。
もっと習っておきたかった。もう遅いけれど、今からできることを精一杯。
智恵や技、あり方やスピリット、それらを現すストーリー
私たちがともに楽しく逞しく暮らしていくための賢さや行動は、ないんじゃない。学ばれてないんだ。
工業や一部の人に掌握されるのではなく、
私たちが自由に学び、健やかに遊び、
心から生きていられることを願って。
先を生きてきたおばちゃんやおじちゃんに学び
世界中で今より良い社会に向けて歩みを進めている人々の実践に学び
自然に学び、子どもに学び、現場に学び、日々に学んでいます。
そして実践へ。上手くなってからではいつまでもできないから。
やってみることを通して、希望の方向に進んでいけるように。日々精進です。
好きな言葉は、「オリジナリティとはオリジンに戻ること」「あるほっじゃら」。
もっと習っておきたかった。もう遅いけれど、今からできることを精一杯。
智恵や技、あり方やスピリット、それらを現すストーリー
私たちがともに楽しく逞しく暮らしていくための賢さや行動は、ないんじゃない。学ばれてないんだ。
工業や一部の人に掌握されるのではなく、
私たちが自由に学び、健やかに遊び、
心から生きていられることを願って。
先を生きてきたおばちゃんやおじちゃんに学び
世界中で今より良い社会に向けて歩みを進めている人々の実践に学び
自然に学び、子どもに学び、現場に学び、日々に学んでいます。
そして実践へ。上手くなってからではいつまでもできないから。
やってみることを通して、希望の方向に進んでいけるように。日々精進です。
好きな言葉は、「オリジナリティとはオリジンに戻ること」「あるほっじゃら」。